こんにちは!
今回は今村夏子さんのデビュー作『こちらあみ子』を紹介するよ。
読んだきっかけ
2020年1月に公開された映画『花束みたいな恋をした』の劇中、主人公の八谷絹と山音麦が言ったセリフに惹かれ、手に取りました。
圧迫面接をされて、落ち込んでいる絹ちゃんに言った一言。
麦くん「あの面接官はさ、今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じない人だよ。」
取引先のお客さんに頭を下げる麦くんに言った一言。
絹ちゃん「その人は、今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じない人だよ。」
私は、何か感じられるのかな…
今村夏子さんとは
- 出身:広島県広島市
- 誕生日:1980年2月20日
- 代表作:『こちらあみ子』『むらさきスカートの女』
- 主な受賞歴:太宰治賞(2010年)三島由紀夫賞(2011年)河合隼雄物語賞(2017年)野間文芸新人賞(2017年)芥川龍之介賞(2019年)
- 経歴:29歳の時、職場で「明日、休んでください。」と言われ、帰宅途中に突然「小説を書こう!」と思い立ち、書き上げられた『あたらしい娘』が太宰治賞を受賞。同作を改題したのが『こちらあみ子』だそうです。
『こちらあみ子』
『こちらあみ子』の中には3つの短編小説が収録されています。
どれも読み応えがあったので、今回は『こちらあみ子』の考察と感想に限定しました。
- こちらあみ子(117ページ)
- ピクニック(87ページ)
- チズさん(19ページ)
登場人物
\ 登場人物 /
- あみ子:主人公
- 母:あみ子と兄に敬語で話す/書道教室の先生をしている/お腹に赤ちゃんがいる
- 父:優しい/放任主義
- 兄:面倒見が良い
- のりくん:あみ子が片思いをしている相手/あみ子の母が経営する書道教室に通っている
- さきちゃん:引っ越し後、近所に住んでいる子
【ネタバレあり】あらすじ
以下、ネタバレありです。
『こちらあみ子』は、あみ子(15歳)が小学生の頃を振り返る形で物語が始まります。
あみ子は4人家族の長女。優しくて放任主義の父と、近所の子供たちに習字を教える母、面倒見の良い兄の元で育ちます。
しかし、あみ子に接する家族の態度が、どこかそっけない…
風変わりなあみ子の純粋すぎる言動によって、周囲の関係性が少しずつ変わっていく様子を描いた物語です。
あみ子と母
まずは、あみ子とお母さんとの関係性について。
お母さんは、あみ子のことを「あみ子さん」と呼び、あみ子と兄に対して、常に敬語で話します。
そして、兄はお母さんの習字教室に通っていますが、あみ子は教室を覗くことさえ禁止されています。また、お母さんの妊娠が分かり、生徒がお腹を触ってはしゃいでいても、あみ子が触ろうとすると「はい、おしまい」と長時間触らせてくれませんでした。
お腹の子供は、死産してしまうのですが、これを機にお母さんはあみ子と積極的にコミュニケーションを取り、’’お母さん’’として、優しく接するようになります。
しかし、あみ子がお母さんのために、と作った「弟の墓」を見て以来、お母さんの心が壊れていきます。
弟のお墓
弟が死産した際、あみ子は『弟の墓』を作ります。
お母さんは、出産後、書道教室を3ヶ月ほど休講しますが、家族の優しさに励まされ、再開を決意します。兄は書道教室再開の’’お祝い’’として、あみ子に「何かあげんさい」と言いますが、あみ子は’’弟が死んだからお祝いをする’’と言う意味に履き違え、そのときお母さんのために作ったのが『弟の墓』だったのです。
あみ子とのりくん
のりくんは、習字教室に通うあみ子の同級生です。
習字教室でとても綺麗な字を書き、あみ子に好かれる存在となります。しかし、風変わりなあみ子に好かれることで、周囲の友達からからかわれたり、あみ子の奇想天外な発想についていけず、だんだんと距離を取るようになります。
極め付けは、あみ子がのりくんにあげたチョコレートでした。
小学生の頃、あみ子はのりくんにチョコレートをあげます。それをのりくんは、「クッキーじゃん」と言って食べます。
後で分かるのですが、これはチョコレートに包まれたクッキーなんですよね。それを、あみ子が外側のチョコレートだけ、舐めたものをのりくんに渡した、ということです。
それに気が付いたのは、のりくんが中学生になった頃です。思春期真っ只中ということもあり、のりくんはあみ子を殴ってしまいます。
あみ子と兄
あみ子の兄は、とても面倒見が良く、小学生の頃はいつもあみ子と一緒に下校をしたり、迷子になったあみ子を探しに行ったりと、常にあみ子を気にかけていました。
しかし、一方では、自分の友人が現れると、あみ子を隠したり、喋るあみ子に「だまれ!」と言うこともありました。
そして『弟の墓』の一件以来、タバコを吸ったり、暴走族に入ったりと、不良の道へと進んでいきます。
考察・感想
『こちらあみ子』は、あみ子と言う主人公がいますが、物語自体は3人称で書かれていることが特徴です。
3人称で書かれている物語は、主人公の主観ではなく、物語全体を客観視した書き方なので、書き手の情報の出し方で物語の見え方がガラリと変わります。
そして、『こちらあみ子』では、読者が知りたい、登場人物の背景やあみ子の心情などの情報をあえて提供しない、そして物語の展開に必要な情報もあえて後出しで書いている、と感じました。
お母さんがあみ子の’’実の母ではない’’という事実や、死産した子供は弟ではなく’’妹’’だった、と言う情報も、意図的に読者に知らせないことで、何も知らないあみ子の立場に立って物語りを読み進められる工夫がされていると思いました。
あみ子について
まず、主人公あみ子についてですが、あみ子は現代風に言う「空気が読めない子」、「変わった子」という認識で書かれています。
あみ子は、純粋無垢で心優しい女の子なのですが、周囲の人とコミュニケーションを取るのが苦手です。相手が聞いていなくても、「ねえ見してあげようか」「のびるんよ」「あとカメラも」などと、自分が伝えたいことをただ羅列したり、聞き手の気持ちを想像することができません。
相手がなぜ怒っているのか、泣いているのかが想像できないため、いつもコミュニケーションが一方通行になってしまいます。赤ちゃんが死産した時も、「お母さんのお祝いをする」と言う表現を使います。これは、兄が言った’’書道教室再開のお祝い’’を、あみ子なりに解釈した結果なのですが、この出来事がきっかけとなり、家族が壊れていくことになります。
また、『こちらあみ子』では、物語の最初と最後に、あみ子がおばあちゃんの家に引っ越した後の描写が書かれています。最初に、近所に住む’’さきちゃん’’と言う小学生が登場し、あみ子自身’’さきちゃん’’という存在を認識していますが、物語の最後には’’竹馬に乗ってやってくる友達’’と表現していて、あみ子の記憶から消えていることが分かります。
そして、’’あみちゃん’’と呼ばれても、自分のことだと認識できず、びっくりしている様子が描かれていたり、引っ越す前の’’のりくん’’との出来事なども忘れています。
このことから、あみ子にはコミュニケーション能力だけでなく、記憶力にも問題があると言えます。
周囲の変化
物語の序盤では、父や兄は、あみ子にプレゼントをあげたり、一緒に遊んだりと優しく接する様子が描かれています。しかし、相手の気持ちが分からず、コミュニケーションが取れないあみ子に対して、次第に家族の反応が変化していきます。
家族はあみ子に「学校に行きなさい」「勉強しなさい」とは言わなくなり、徐々にあみ子を’’いない存在’’として扱うようになります。
妹が死産した際にも、’’赤ちゃんは女の子であった’’という事実を誰もあみ子に知らせようとはしませんでした。最終的に、父から知らされますが「あみ子にはわからんよ」と、諦めたような、突き放すような言い方をします。
その後、父は唐突に引っ越しを告げ、あみ子は父に離婚をするのか、と聞きますが父は「ん?」と返事をするだけで、事実を言いません。
結局、引っ越しと言う名の、あみ子を’’捨てる’’という行為を、あみ子本人に知らせず、家族の判断で行います。家族は、あみ子を’’コミュニケーションが取れない、異質的な存在’’と見なし、排除することを選ぶのです。
理解できない者は除外されていく
『こちらあみ子』では、’’理解できない者は除外されていく’’、’’コミュニケーションを遮断する’’という、社会の縮図を描いているのだと感じました。
あみ子がおもちゃのトランシーバーを使う描写がありますが、いつも誰からの返答もありません。これは、あみ子からの一方通行の発信、周囲からはコミュニケーションを遮断されている様子を表しているのだと思います。
あみ子自身は、全ての物事をあみ子の主観で捉え、見て感じたことをそのまま言葉にする、という行為を全く悪気なく行なっています。あみ子だけが何も変化せず、社会から取り残され、その間に周りが変化していく。
その様子を、何も知らないあみ子視点で描いた、ある意味リアルで怖い小説だと感じました。
まとめ
今村夏子さんの作品は初めて読みましたが、情報の少なさから、読者の想像力が掻き立てられる作品だと感じました。
’’登場人物の心情や背景をあえて説明しない’’ことで、読者が見える世界をコントロールしている…
今までにない、面白い作品でした。